石野田奈津代歌手简介:
她并不是新人,之前已经作为独立歌手出版过3张正式专辑和8张单曲,并自己独立制作了3张专辑。对这样一个没有电子的喧哗,没有舞曲的华丽,没有动人的脸庞,更没有铺天盖地的关注和宣传的声音,我们所要做的只是听着她怀着一份诚挚的热爱音乐的心,拿起吉他,去演绎的那一首首曲子。 曾以“いしのだなつよ”的名义开始活动,直到2000年结束。之后03年以组合“kicca”活动。 07年出道,正式以“石野田奈津代”这个名字活动,以「わたしのうた」开始。
東京都・神津島出身 1980年4月28日生まれ 1980年、東京都にある人口2000人ほどの島・神津島に生まれる。小・中学校時代、いじめにあい、いじめっ子を見返すため、歌手になろうと決意する。そして、いじめから逃げるため、そして歌手になるため、高校入学と同時に、島を離れ、東京本土に上京。高校生になり、ギターを始める。人生最大のショックを受けたという「浮気=失恋」により、抑えきれない想いをぶつけるために、自ら本格的に作詞作曲を始める。その後、メジャーデビューすることを夢見て、制服姿で路上ライブを始める。口コミで観客が増え、現役女子高生ストリートシンガーソングライターとして注目を集める。 1999年、石野田奈津代が高校卒業目前の18歳の時、[いしのだなつよ/「ひまわり」]で華々しくメジャーデビューを果たす。しかし、メジャーデビューが夢だった石野田は、夢を無くしてしまう。 1枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。数々のテレビ番組のテーマソング、多数のラジオ局のヘビー・ローテーション、パワープレイに選ばれるが、セールスは思うように伸びず、約2年間の活動を経て、石野田が20歳の時にレコード会社・所属事務所との契約は打ち切られた。 メジャー契約終了後、石野田は、ライブ活動を再開。その後、バンド[kicca]を結成し、インディーズデビューするもバンドの音楽性に悩む日々が始まる。ついには「なにを歌っていいかわからない」と作詞作曲が出来なくなり、バンドは自然消滅。音楽活動を辞め、家に引きこもる。 2005年、『自分の歌いたい歌をうたおう!』ともう一度、一人で音楽を始めるため再始動。メジャー時代の[いしのだなつよ]から漢字の[石野田奈津代]に名前を改める。その頃、出逢った一人のスタッフとともに、自身の自主レーベル「SONGLiFE」を設立。 CD制作、ライブブッキング、ラジオなどのプロモーション、HP運営、通販業務、デザインなど、活動すべてに関わる作業を、手探りながら自らで行うようになる。通常のライブ活動の他に、様々な場所で音楽を届ける“シチュエーションライブ”を企画。自身の曲に合った場所にこだわり、星空コンサート、サンセットビーチ、プラネタリウム、学校の教室、銭湯、結婚式披露宴などでライブを開催している。 これで「反響がない=売れない」場合は、音楽を辞める決意をし、なけなしの全財産をつぎ込み、 2007年、8年ぶりのソロアルバム「わたしのうた」をインディーズでリリース。一人でも多くの人に歌を届けるため、8年ぶりとなる路上ライブも再開。精力的に全国を回りラジオプロモーションなども行った。そして地道な活動を続けた石野田の音楽は、徐々に人の「心」に響き始めていく。テレビ、新聞など様々なメディアで『泣かせるシンガーソングライター』として取り上げられ、その後リリースした2枚のシングル、「春空 -ハルソラ-」がオリコンインディーズランキング16位にランクイン、「クローバー」がオリコンインディーズランキング8位にランクイン、ワンマンライブが各地でソールドアウトするなど、石野田の音楽は多くの反響を呼んだ。 そして2009年、デビューから10年、ふたたびメジャーへ。
石野田 奈津代(いしのだ なつよ、1980年4月28日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都神津島出身。
大事件
高校入学を機に、歌手を目指して故郷の神津島から上京。
四ツ谷駅前と吉祥寺駅前でのアコースティックギター弾き語りの路上ライブで注目を集める。
1999年2月27日、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズから「いしのだなつよ」としてメジャーデビュー。
約2年のメジャーでの活動の後、契約終了。インディーズ・シーンへ。
2003年、バンド「kicca」を結成。[メンバーは、石野田奈津代(ボーカル)、100sの町田昌弘(ギター)、山口寛雄(ベース)、玉田豊夢(ドラム)]
2005年、アーティスト名を本名の「石野田 奈津代」に改め、ソロ活動を再開。
2008年9月25日、オフィシャルサイトにてメジャー復帰決定を発表。
2009年2月11日、シングル「春空 ーハルソラー」で、ユニバーサルミュージック MILESTONE CROWDSからメジャー再デビュー。