スターダスト☆レビュー歌手简介:
根本要(ねもと かなめ、1957年5月23日 - )ギター、ヴォーカル。埼玉県行田市出身、血液型A型。埼玉県立不動岡高等学校卒業。日本大学芸術学部放送学科中退。
柿沼清史(かきぬま きよし、1957年11月11日 - ) ベース、ヴォーカル。埼玉県羽生市出身、血液型B型。
寺田正美(てらだ まさみ、1959年7月26日 - )ドラム、ヴォーカル。埼玉県熊谷市出身、血液型O型。
林“VOH”紀勝(はやし・ボー・としかつ、1960年1月28日 - )パーカッション、ヴォーカル。埼玉県熊谷市出身、血液型AB型。
小简介
彼らのライブミュージシャンとしての地位を築いた要素として、ボーカルの根本要のトークが挙げられる。あまりにもトークが長く、「一回のライブにわずか3曲しか歌わなかった」や「メンバー紹介だけで1時間かけた」などという逸話まである。一部のファンはライブでの歌よりトークを楽しみにしているようである。
根本要がライブの最中に歌詞を間違える事は日常茶飯事で、とあるクリスマスライブにおいては同じ曲の同じ部分で3度も歌詞を間違え、演奏が何度も途中で止まるという事態が起こっている。それでも演奏終了後に「今日は3部構成でお送りしました」という一言で、観客もメンバーも大爆笑とともに納得させてしまったという。また、根本要が語った言葉に「歌詞は生き物」というものもある。
ライブでの歌詞の間違いはアルバムにも収録されており、ライブアルバム『FACE TO FACE』に収録されている「One More Time」では「はずさ」という部分を「だろう」と迷った挙句、結局「だずさ」と発音したものが選ばれて収録されている。また、イントロで必ず根本が前フリをするが、登場時に「お待たせいたしました。スターダストレビューでございます。老いも若きも一緒に踊ろうではありませんか。」など、独特の前振りをする事もある(ライブアルバム『Secret Face』に収録されている)。
赤坂泰彦からは「生まれて初めてコンサートというものを見に行くときには、スターダストレビューのライブを見に行け」と言われるほど、エンターテイメント性に富んでいる。
根本要は、村田和人、KAN、平松愛理、嘉門達夫など、数々のアーティストの作品にもゲスト参加している。
「バラードのスタレビ」と評されることも多く、バラード系をはじめとしたラブソングを集めたベストアルバム『LOVE SONGS』『LOVE SONGS II』がある。
ライブでしばしば、アカペラを披露する。『CHARMING』(三谷泰弘在籍時)、『DEVOTION』(光田健一在籍時)と2枚のアカペラアルバムもリリースしている。なお『DEVOTION』に収録されている「マシュ・ケ・ナダ」には下柳剛(当時日本ハムファイターズ、現・阪神タイガース)が「ハァッ!」という掛け声で参加している。また、アカペラで有名なゴスペラーズは彼らのアカペラに影響され、彼らを手本にしている(2008年中野島音楽特区にて共演した際、ゴスペラーズのリーダーである村上てつやが公言)。
Something ELse、Vlidgeなど、スターダストレビューに影響を受けたというアーティストもいる[要出典]。
2001年にはヤマハリゾートつま恋にて「100曲+1曲ライブ〜日本全国味めぐり〜お食事券付」と題し、お弁当付きのコンサートを開催した。
2007年5月19日には、さいたまスーパーアリーナにて「25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き」と題された、収録席からはステージの撮影・録音が自由(ゲスト登場時を除く)、さいたま物産展同時開催というユニークなコンサートが催された。
自身のラジオ番組では「スタレビのオリジナルアルバムは、これまで一度たりと絶版もしくは廃盤という形態にならなかった」と自賛した。事実、結成から25年以上一度もオリジナル盤の販売期間が途絶えずに活動できているグループはTHE ALFEEなどを含め、日本でもごく僅かな存在である。また同じように、「12インチシングルが流行った時代に自分たちは一枚も(シングルを)出さなかった」と、単に流行に流されることがないといったことも語っていた。
2008年6月、1995年より毎年夏に行っている香川県さぬき市の野外音楽広場「テアトロン」でのコンサートが同市の知名度アップに貢献したとして、市長より感謝状が贈呈された。
2003年には、根本の母校である埼玉県行田市の小学校で行われた開校50周年式典にて、歌を披露した。
根本は、南九州で活動するラジオDJのDJ POCKYと交友関係にある為、 宮崎県とは縁があり、スタレビでのライブは勿論の事、ソロでも佐藤竹善と数名のアーティストが競演して行われたライブ「佐藤竹善&フレンズ」や、カリーノ宮崎店リニューアルオープン記念のアコースティックライブ等で度々宮崎を訪れている。また、2006年9月17日に発生した竜巻により宮崎県延岡市が甚大な被害に見舞われた事を知り、被害者救済義捐金目的の募金を同年の延岡市でのライブ以降に行い、最終的に集まった義捐金を根本本人が延岡市役所まで届けている。また、シングル「愛の歌」には、ライブ観客によるコーラスが入っているが、その中の一人がライブを見に来ていたDJ POCKYであった。この事は、2007年7月27日放送のエフエム宮崎の自身の番組『WEEKEND JAM』で明かしている。
大事件
1979年、グループ名「(ジプシーと)アレレのレ」として第18回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場。「おらが鎮守の村祭り」で優秀曲賞を受賞 (グランプリはクリスタルキングの「大都会」)。
デビューに際し、グループ名をスターダストレビューに改名。ジャズのスタンダードナンバー「スターダスト」とグループが持つ多様な音楽性をレビュー形式で披露したい、とのことから。
1981年5月25日、アルバム『STARDUST REVUE』、シングル「シュガーはお年頃」でデビュー。
1984年に発売された5枚目のシングル「夢伝説」がカルピスのCMソングに起用され、知名度が上昇した。「夢伝説」のヒットを受け発売されたアルバム『TO YOU 〜夢伝説〜』は、アーティスト側の意向を汲まない過去の発表曲を集めた物で、このアルバム発売のあおりを受け、本来あるはずだった3枚目のオリジナルアルバム発表の機会が失われてしまい、メンバーを大いに落胆させた。
1980年代中期頃からは、メニコンCMソングに「Stay My Blue-君が恋しくて-」(1988年)、「Be My Lady」(1989年)と2年連続で起用された。1989年には「夏のシルエット」がピクニックのCMソングに起用された。
1994年には、アマチュア時代からメンバーに加わり、キーボード、ヴォーカル、アレンジを担当した三谷泰弘がソロ活動のため脱退した。
1998年には、サポートメンバーだった光田健一が正式にメンバーとなり、2001年までキーボード、コーラス、アレンジャーとして活躍した。
2001年にメジャーレーベルを離れ、新星堂系のオークレコーズに移籍、アルバム『Style』を発表。
2003年には、『Style』と同じく熊谷昭のプロデュースによる『Heaven』を発表。
2005年、彼らの人気曲4曲をアコースティックアレンジでセルフカバーしたシングル「木蘭の涙〜accoustic〜」を最後にオークレコーズを離れ、再びメジャーレーベル(インペリアルレコード)に移籍した。
2006年1月、シングル「いのちのこたえ」を発表。同年5月にはデビュー25周年記念アルバム『HOT MENU』を発表。このアルバムのためにスターダストレビューの4人、サポートの2人に加え、歴代メンバーの三谷泰弘、光田健一、サックス奏者・山本公樹、一夜だけのスペシャルコンサート(『No Ballads』)で競演したBIG HORNS BEEが一堂に会し、アマチュア時代の代表曲「おらが鎮守の村祭り」をレコーディングした。