艺人:ユニコーン
推荐数:
专辑数: 3 歌曲数:18
ユニコーン歌手简介:
川西幸一(かわにし こういち)
元バンドリーダー。ドラムス担当。愛称は西川くん。1959年10月20日(49歳)、広島県呉市出身。89年頃から脱退まで、西川幸一の名で活動。
1993年、アルバム「スプリングマン」レコーディング中に、バンドの方向性の相違により脱退。2009年、ユニコーン再結成発表にてバンドメンバーに復帰。
奥田民生(おくだ たみお)
ボーカル、サイドギター担当。愛称はタミオ。1965年5月12日(44歳)、広島県広島市出身。
手島いさむ(てしま いさむ)
リードギター、ボーカル担当。愛称はTESSY(てっしー)、3623(さむにいさん)。本名:手島勇(読み同じ)。1963年8月27日(46歳)、愛知県生まれ広島県育ち。
堀内一史(ほりうち かずし)
ベース、ボーカル担当。愛称はEBI(えび)で、現在は芸名として使用している。1965年10月2日(44歳)、広島県広島市出身。
阿部義晴(あべ よしはる)
現バンドリーダーキーボード、ボーカル担当。愛称は阿部B(あべびー)。1966年7月30日(43歳)、山形県出身。
2ndアルバム『PANIC ATTACK』のレコーディングに参加し、リリース前のTV出演にて正式加入が発表。「BOOM」ではマニピュレーター、「PANIC ATTACK」ではSpecialThanks。
バンド解散まで、CX系『ダウンタウンのごっつええ感じ』ではミニコーナー「民生くんとアベくん」で奥田民生とレギュラー出演していた。
小简介
1986年に広島県広島市にて結成。1987年メジャーデビュー。所属事務所はCBSソニー・アーティスツ(現・ソニー・ミュージックアーティスツ)。契約レコード会社はCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)。初期の音楽プロデューサーは笹路正徳。「バンドブーム」の中心的グループでTHE BLUE HEARTS、THE BOOMと共にバンド御三家とも呼ばれた。またルックスの良さからチェッカーズ、JUN SKY WALKER(S)と並んで、当時の音楽雑誌で最もグラビアページを組まれるバンドであった。特に"ロックバンドのアイドル化"を招いたと言われる『PATi PATi』では、チェッカーズの後、度々表紙や特集を組まれる同誌の看板スターとなった[3]。バンド名は、イギリスのロックバンドT・レックスのアルバム『ユニコーン』に由来(T・レックスのファンだった手島の発案による)している。
初期の楽曲はいわゆる80年代ヴィジュアル・ロックそのものであったが、中期から後期の作品は独特のくだけた歌詞、良い意味で力の抜けたメロディーとリズムが特徴的なコミカルなバンドへと変化していった。音楽性の違うメンバー全員が作曲をしたり、深夜のバラエティ番組に出演する意外性など、他のバンドにはなかなか出せない独自の味がある[4]。代表曲は『大迷惑』『働く男』『すばらしい日々』など。
1993年9月に解散。解散後はソロや新たなバンドでの活動、他のミュージシャンのプロデュース等、各方面で活躍。
解散から15年後の2009年元旦、奥田、阿部、手島、堀内、川西の5人がそろい新年の挨拶ムービーが特設サイトで公開される。5日後、同サイトで新作の発売とライブツアーを行うことを発表。15年ぶりではあったが、再結成や復活などの発言はなく、スタッフなどは「15年ぶりの仕事始め」と表現[5]するなどして、活動を再開した。マネージメントは、解散前にもマネージャーだった原田公一(元Hit&Run代表、現ソニー・ミュージックアーティスツ代表取締役会長)が務める。 活動再開後はメンバーが全員お揃いのコスプレに身を包んでいる。
大事件
1986年
3月 川西が中心となってメンバーを集め、2度の勧誘を経て最後に奥田が加入し「ユニコーン」を結成。
5月15日 初ライヴ、広島ウッディ・ストリート。
12月 CBSソニーオーディション決勝にて合格。
1987年
3月30日 メンバー上京、豊島区大塚駅前で共同生活。
4月12日 日比谷野外音楽堂イベント「子供はみんなビート二ク」出演。
7月 - 関東近郊のライブハウスにマンスリー出演、横浜 7th AVENUE、渋谷エッグ・マン他。
9月1日 前橋ラタン観客0人ライヴ[8]。
9月24日 東京初ワンマンライヴ、インクスティック芝浦ファクトリー。
10月21日 1stアルバム『BOOM』でメジャーデビュー。
10月 - 11月 無料ライブツアー(全国7ヵ所)。
12月25日 テレビ初出演(「オールナイトフジ」)。
1988年
1月31日 向井が健康上の理由から脱退。以後のレコーディングとツアーには、阿部義晴がサポートメンバーとして参加。
5月25日 阿部が正式加入。
7月21日 2ndアルバム『PANIC ATTACK』リリース。
10月 「PANIC ATTACK」ツアースタート。
11月4日 早稲田大学大学祭出演[9]。
1989年
2月1日 ライヴビデオ『MOVIE』リリース。
4月24日 「WORLD TOUR 1989 服部」ツアースタート(~7月10日)。
4月29日 1stシングル「大迷惑」リリース。
6月1日 3rdアルバム『服部』リリース。
7月 シークレットバンド「ハムーツアー」スタート。
7月10日 初の日本武道館ライヴ。
9月1日 2ndシングル「デーゲーム」リリース(坂上二郎とユニコーン名義) 。
10月24日 「PANIC! 服部 BOOM」ツアースタート。(~1990年3月3日)
11月1日 ライヴビデオ「MOVIE2 〜 WORLD TOUR 1989 服部」リリース。
1990年
5月21日 クリップ集「MOVIE2 1/2」リリース。
7月21日 3rdシングル「働く男」リリース。
10月1日 4thアルバム『ケダモノの嵐』リリース。本作で第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞する。
10月21日 4thシングル「命果てるまで」リリース。
10月24日 「嵐のケダモノ」ツアースタート。(~1991年3月14日)
11月1日 ミニアルバム『おどる亀ヤプシ』リリース(完全限定生産)
12月1日 ミニアルバム『ハヴァナイスデー』リリース。
1991年
1月8日 新年早々ツアー中に阿部がステージ上で転倒し脱臼。この日の公演を含め、ツアー4公演が延期に。(阿部は1月15日に復活)
1月21日 5thシングル「スターな男」リリース。
6月21日 6thシングル「ブルース」リリース。
7月1日 ライヴビデオ『MOVIE3 嵐の獣』リリース。
8月23日 堀内がアルバム「MUSE`E」でソロデビュー(EBI名義)。
9月30日 5thアルバム『ヒゲとボイン』リリース。
10月22日 「舞監無き戦い」ツアー開始(~1992年3月19日)。
全80公演のユニコーンでは最長のツアー。タイトルの舞監とは舞台監督。今までいた舞台監督が急にいなくなったのと、TVで映画「仁義なき戦い」が放送されたことによるもの。
10月25日 7thシングル「ヒゲとボイン」リリース。
1992年
3月25日 ライヴビデオ『MOVIE4 舞監なき戦い』リリース。
8月 - 10月 5人がそれぞれソロシングルリリースを発表(発売順はジャンケンで決定)。
8月15日 堀内(EBI名義)ソロシングル「アフリカの蝶」リリース。
8月29日 奥田ソロシングル「休日/健康」リリース。
9月12日 阿部ソロシングル「+OR-」リリース。
9月26日 西川ソロシングル「リキッドマン」リリース。
10月10日 手島ソロシングル「眠れぬ夜」リリース。
9月13日「S.F.W」ツアースタート (~1992年12月)。
12月2日 8thシングル「雪が降る町」リリース。
1993年
1月21日 EBI奥田阿部西川手島 名義による8cmミニアルバム「UNICORN」リリース。
1月21日 西川、脱退をファンクラブ号外にて発表。同年2月6日付で正式脱退。
4月8日 「4946」ツアースタート(~同年8月12日)。サポートドラマーは古田たかし。
4月21日 9thシングル「すばらしい日々」リリース。
5月21日 6thアルバム『SPRINGMAN』リリース。
9月21日 ニッポン放送「オールナイトニッポン」にて解散を発表。
1993年
11月21日 初のベストアルバム『THE VERY BEST OF UNICORN』、クリップ集『MOVIE5 1/2』同時リリース。
1994年
4月21日 ベスト・ライヴ2枚組アルバム『THE VERY RUST OF UNICORN』、これまでの活動を辿ったヒストリービデオ『MOVIE6 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1』を同時リリース。
5月21日 ヒストリービデオ『MOVIE7 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.2』リリース。
1995年
12月13日 オリジナルアルバム6枚、『おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー』、『ユニコーンのゴールデン・ハーフ・スペシャル』を廉価盤(2000円)で再発。
1996年
11月1日 企画シングル「雪が降る町 "more bell mix"」リリース。
1997年
2月21日 未収録のライヴ映像を集めた『MOVIE 8 THE ANOTHER SIDE OF LIVE』リリース。同時にクリップ集のMOVIE「2 1/2」「5 1/2」を紙ケースにより再リリース。
1999年
1月30日 SONY企画ベスト『UNICORN STAR BOX』リリース。
2000年
7月5日 『MOVIE6』、『MOVIE7』DVDで再発。
12月6日 『MOVIE』、『MOVIE COMPLETE EDITION 9 1/2』(クリップ集)をDVDで再発。
2002年
12月18日 2CD+DVDの3枚組『ULTRA SUPER GOLDEN WONDERFUL SPECIAL ABSOLUTE COMPLETE PERFECT SUPREME TERRIFIC ULTIMATE...』リリース
アルバム未収録曲やソロ楽曲など集めた3ヶ月期間限定リリース盤。後に再リリース。
2003年
3月19日 ライヴビデオ『MOVIE2』から『MOVIE8』DVDで再発。
2005年
映画『ヒナゴン』の主題歌に「すばらしい日々」が採用される。
2006年
3月 ソニー デジタルハイビジョンハンディカム HC3のCMソングとして「すばらしい日々」が採用。
3月24日 DVD-BOX『UNICORN THE BOX Wonderful Days』リリース。
3月24日 「すばらしい日々」マキシシングルとして再リリース。
9月 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」開催。
川西が在籍しているジェット機、奥田らが参加。アンコールセッションではユニコーン楽曲を披露。このライブの模様はDVD化され、翌年2月14日に発売された。
2007年
7月15日 ユニコーン時代のスタッフ(通称:Jメン)の結婚パーティーの余興でメンバー4人数曲演奏(川西は欠席)。久しぶりに4人揃ったショットが、Ebiのブログに更新される。この時に阿部は、各メンバーの成長と皆が現役であることに感化される。
12月 阿部が、川西に「5人での新曲作り」をもちかける。川西が合意したのをきっかけにユニコーン5人での忘年会を他メンバーに呼びかけるが、スケジュールが合わず翌年に新年会で集まることになる。
2008年
1月 新年会にて5人が集結。Ebiと手島は、このとき初めて再結成をもちかけられたが快諾。その数ヶ月後にデモテープを持ち寄って鑑賞会が行われた。
5月 レコーディング開始。メンバー各々のソロ活動をはさみながら極秘裏に進められた。夏頃に翌年のアルバムリリースとツアーが決定。
12月26日付けの東京スポーツ紙面にて、翌年再結成記事が、初スクープされる。
12月31日 カウントダウン明けのCOUNTDOWN JAPAN会場外にて再結成を知らせるサンドイッチマンが出現した。フライヤーも配られる。
2009年
元旦 特設サイトにて挨拶ムービー公開され、メルマガ登録者へ年賀メールが届く。
1月5日 再始動が正式発表され、シングル、アルバム、全国ツアーの全貌を発表。朝日新聞の号外が配布された。
1月30日 『ミュージックステーション』に16年ぶりのテレビ出演。新曲「WAO!」と「すばらしい日々」をオリジナルメンバーで初披露。
2月4日 10thシングル「WAO!」リリース。
2月18日 7thアルバム『シャンブル』リリース。
2月27日 神奈川・よこすか芸術劇場にて、完全招待制シークレットプレミアムライブ開催(参加者は事前に場所は知らされなかった)。
3月5日 山形より、全国ツアー「蘇える勤労」全31公演、追加公演「蘇える勤労の日々」スタート。
3月18日 初のファンによるリクエストベスト『I LOVE UNICORN 〜FAN BEST〜』リリース。
6月17日 ライブDVD「MOVIE12 UNICORN TOUR 2009 蘇える勤労」リリース。
7月22日 初のリミックスアルバム「URMX」、ライヴBlu-ray「MOVIE12 UNICORN TOUR 2009 蘇える勤労」が、同時リリース。
10月7日 川西の生誕50周年を記念した11thシングル「半世紀少年」リリース。
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